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No.246 京都からのお誘い

出版UD研究会のメーリングリストで、とても興味をそそられる案内が届きました。国立民族学博物館の広瀬さんからの「視覚障害者文化を育てる会」(4しょく会)の春のイベントについてでした。
この広瀬さんは、近著「さわる文化への招待 ― 触覚でみる手学問のすすめ」(世界思想社)のなかで、「視覚障害者は、目が見えないかわいそうな人、ではなく、視覚を使わずに別の五感を働かせて豊かに生きている存在 」と言われています。独自の視点で、さまざまな活動に取り組まれている方です。
「ボランティアはになれるか」~「for」でも「with」でもない「from the blind」の立ち位置~というテーマです。
日時:6月3日(日)13時~17時(17時~懇親会)
会場:長岡京市中央生涯学習センター「市民ギャラリー」JR長岡京駅前
申込み: 080ー2527-9383(兵庫県点字図書館 萩原さん 平日9時~17時受付)
メール jasmine@hcc5.bai.ne.jp
氏名、TELもしくはメールアドレス 懇親会の出欠を明記の上、申込む。
少し遠いのですが、私もテーマにひかれて、参加したいと思います。
登壇者のなかには、音ボラネットの会員の方もおられるようです。
これをご覧くださった関西方面の方々も、参加しませんか。少しでもみなさんと交流できたら、嬉しいです。ぜひよろしくお願いいたします。
ところで、国立民族学博物館(みんぱく)は、ご存知のことと思いますが、大阪府吹田市の万博記念公園内にあります。
1974年の開館です。
民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っている博物館を持った研究所です。
広瀬さんは、この「みんぱく」の准教授です。初代館長は、民族学者の梅棹忠夫さんでした。
この梅棹さんのお弟子さんともいうべき、民族学者で国文学者だった、野村純一先生のことが、鮮やかに浮かんできました。
私たちが、2006年の「音訳ボランティア全国大会」の開催に向け必死になっていた頃、この活動が新聞各社に取り上げられたことがあります。
それをご覧になった野村先生からお手紙をいただきました。
その後、何度かお目にかかり、全国大会にも、お招きしました。
その時、「梅棹先生がね、目が悪くなって僕は、ずいぶんと先生の為に参考文献なんか読んだんだよ。難しいよ」、「これからは、こういう専門書を読める人を育てないとね」とおっしゃっていました。
余談かもしれませんが、「みんぱく」繋がりで、今は亡き方のことを、ありがたくも懐かしく思いだされたことでした。
この音ボラネットは、こういう方々に支えられて、今日にいたっています。
本当に出会いというものを大切にしたいとしみじみ思います。

No.245 「DX型 ディスレクシアな僕の人生」

私が月一、参加している、出版UD研究会でお会いした、NPO法人EDGEの藤堂さんから、ご案内をいただきました。
エッジとは、ディスレクシアを持つ人の啓発、サポートとネットワークを目的として2001年に設立されたものです。
ご子息の高直さんが、書かれた「DX型 ディスレクシアな僕の人生」(主婦の友社 本体価格1400円)の出版記念講演会の案内でした。高直さんは、日本で義務教育終了後、英国に留学。大学、大学院を終了して現在、シンガポールで、建築家として働いています。
ディスレクシアとは、知能や視力、聴力に問題があるわけではないのに、文字の「読み書き」に困難がある、学習機能障害です。英語圏では10人に1人、日本でも12人に1人は、いると言われています。彼自身、小学校3年生並みの「読み書き」の能力だそうです。しかし、編集のみなさんのサポートはあったにしろ彼が書いた文章です。まず、彼の感性と豊かな才能に驚きました。
ディスレクシアのことは、多少なりとも知っているつもりでしたが、目からウロコの部分がたくさんありました。
「読み書き」が苦手なことから始まって、授業についていけない、先生から注意を受ける、友だちからは、からかわれる。そんななかで、普通ってなんだろうと考え続けたそうです。そして、このままではダメになると確信にも似た思い、先が見えない日本にいるよりはと、海外(英国)に留学した高直さんでした。
彼自身も話していましたが、日本に居場所がないからと、誰でもが、海外に出られるわけではありません。彼ら彼女らが、自信を持って、希望を持って住み続けられる日本を!と思います。
一人でも多くの人が、この本を手にすることで、ディスレクシアに対する正しい理解が広がることを祈ります。
そして、私自身何か、お手伝いできることが、あればと思います。

No.244 銀の鈴社

鎌倉にある出版社、銀の鈴社に、伊藤忠記念財団の矢部さんを、ご案内しました。この銀の鈴社は、長野の丸田さんが「はこちゃんのおひなさま」という絵本を出しているところです。そのご縁で、以前に伺ったことがありました。
古民家の入り口を入ると、ギャラリーになっています。
更に奥の方に、事務所とサロンがあります。サロンの壁ぎわには、背の高い本棚があって、素敵な絵本や詩集、野の花の絵はがきなどが並んでいます。一冊一冊、手にとって眺めていると、時のたつのも忘れそうです。
さて矢部さんたちは、私たちが提供した音源をもとに、マルチメディアDAISY図書を製作しています。そして、視覚障害にかぎらず、さまざまな障害のある子どもたちに、喜んでもらえる絵本や物語を届けたいと、特別支援学校や図書館に寄贈しています。財団自体が、文化庁指定の団体として認可されているので、著作権フリーなわけですが、丁寧に、各出版社を回って、理解の輪を広げようとしています。このことについて私は、色んな考えのあることも承知していますが、さまざまなな立場、やり方があるというふうに、理解しています。
すでに、階成社、角川学芸出版、福音館、小峰書店、東京子ども図書館等の作品を製作していますが、もっと広くたくさんの出版社のものを集めたいという希望です。大手になると、いつ行っても、担当者に会えないこともあるそうです。30分も話を聞いてもらえれば、いいほうだとも。
そんななか、「はこちゃんのおひなさま」つながりで、西野社長に、矢部さんをご紹介したというしだいです。作者も、読み手も共に大切にしているという姿勢に共感しました。気付くと2時間もたっていました。ぜひ、協力したいと言っていただき、私もほっとしました。矢部さんの「出版業というよりも、本屋さんという、地に足が着いた気高い魂を感じ、勇気づけられました」という言葉、言い得て妙、だと思いました。
ところで、紹介していただいた本の中で、視覚障害の元国語教師、小泉周二さんの詩集「太陽へ」そして、宮城県名取市の「方言を語り残そう会」の「大震災五七五の句集負げねっちゃ」が、心に残りました。一人でも多くの人に読んでほしい二冊です。
特にこの「負げねっちゃ」は、ポケットサイズの「手のひらBooks」です。銀の鈴社の2012年からの取り組みとしてスタートしたものです。大震災でのありのままの気持ちと心の叫びを、形に残したいと、名取市のみなさんが、方言をそのままに心情を表現した句集です。この句集については、東京の私たちではなく、地元のできれば名取市の人に、ぜひ音訳してもらいたいと、準備を進めています。
新しい出会いから、また何かが生まれたら、本当に幸いです。

No.243 打ち合せ

つくばエクスプレスで、筑波技術大学の長岡先生を訪ねました。つくば市は、学園都市と言われるだけあって、複数の大学があって、正に学生の町です。都心をうろうろしている私としては、広々としていて気持ちがいいなあと思いました。
さて、6月1日、飯田橋のボランティアセンターで、長岡先生をお迎えして、シンポジウムを予定しています。その打合せで伺ったものです。視覚障害系支援課の小野瀬さん、田中さん、納田さんも同席してくださいました。
長岡先生ご自身は利用者でもあり、視覚障害学生を支援するお立場でもあります。以前、先生から好きな作家は、梨木香歩さんと、伺ったことがあります。映画にもなった「西の魔女が死んだ」の作者といえば、おわかりでしょうか。数ある作品の中で、先生は「家守綺譚」が、一番いいですね、とおっしゃったのには、びっくり。私も、そう思っていましたので。
話が少しそれましたが、先生はとても感性の豊かな方だと思います。日本の四季の美しさ、風のにおい、日の光を感じていらっしゃいます。「耳で読む読書」量は、半端ではないようです。
それらの多くの録音図書の中で、「えーっ!?」と思うものも、あるようです。先生は、躊躇していらっしゃいましたが、「こういう読みは、どう思う」というサンプルをいくつか聴かせていただきたいとお願いしました。音訳者として、他の人はどんな読みをしているのか、関心があります。勉強のために、ぜひとお願いしました。
そしてまた、一方的な先生のお話だけではなく、例えば、数式、写真や表、三療の読み等、事前の宿題にしておいて、当日、参加者に発表してもらうことも検討しています。前述の小野瀬さんたちに協力をお願いし、例題を集めていただくことにしました。より有意義なものになるよう、心して準備を進めています。ふるってご参加ください。

No.242 物事は単純ではない?

「いつもよくそんなに、あちこち出かけて、いろんな人と会うことが、苦になりませんね」とは、よく言われることです。
決してそんなことはありません。「よいこらしょ!」という時もあります。
実は、大きな組織のリーダーのみなさんを、お訪ねする時、何となく敷居が高く感じられることがあります。当ネットワークの歴史の浅さ、私自身の勉強不足が、気後れする理由かもしれません。
でも、全国と名前を冠した団体です。少しずつですが、認知度が上がってきています。私たちの進むべき道を、注目してくださっている方もいます。その道を誤らないためにも、いろんな所に出向き、いろんな立場のみなさんにお目にかかることは、とても重要だと考えています。ですので、図々しくも明るく「藤田が行く」を実践しているわけです。
先日は、日本障害者リハビリテーション協会の野村情報センター長を、お訪ねしました。じっくりお話を伺うのは、初めてです。マルチメディアDAISYのこと等、いろいろ教えていただきました。今は、マンパワーが、教科書作りに特化されています。
現状、勉強がしたいのに教科書がないという子どもたちに、一冊でも多くの教科書を届けなければならない。しかし、教科書製作にかかりっきりになっていれば、いいというわけではありません。本来なら、文科省のやるべきこと。行政への働きかけも、重要です。何事も、一筋縄ではいきません。
あちらでもこちらでも、小さな催し(勉強会であったり、シンポジウムであったりします)が開かれています。もちろん、それも大切です。
しかし、もっと大きな輪になって、行動を起こすことも大切ではないでしょうか。何かの折りには、多少の立場の違いはあっても、みんなで協力しあえるようになるといいです。常に誰のための、何のための活動なのかということを、忘れないようにしたいと思います。
野村さんにお目にかかって、いろんなことを考えました。
ありがとうございました。

No.241 読み書き支援

ここで何度か、書いてきましたが、読み書き(代読代筆)支援の話題です。
まずは、そこに行けばサービスが受けられるという場所の確保が、必要です。しかし、その場所まで、出てこられない人のためには、訪問サービスも考えなくてはいけませんが。
さて、場所ですが、どこでもいいというわけではなく、わかりやすく、安心感のある所が、ベターでしょう。
だれでも、すぐ思い浮かぶのは、公共図書館の対面朗読室の活用ではないでしょうか。
近年、対面朗読サービスを希望する人の減少によって、場所(部屋)は、あっても使われていない現状があります。
ある図書館では、対面朗読室は作りました。しかし、使うつもりは、ありませんと。空いている部屋の有効利用は、考えないのでしょうか?
図書館に尋ねると、「これ以上、仕事を増やせない」といいます。場所さえあれば、私たちのマンパワーを利用して、何とかしますと、提案しても難しい。なるべく現場の負担を減らすには、とりあえずの案として、毎週一回、曜日を決め、時間も半日とし、予約制にはせず、支援員(サービス提供者)は、利用者が、来ようが来まいが、待機しているというような形は、どんなものでしょうか。
読み書き(代読代筆)支援を必要としている人がいるのに、その現状は、お粗末としかいいようが、ありません。何とかみんなで、道を開いていきたいものです。
つい数日前、那須塩原市の松木さんから、こんなメールが届きました。
読み書き支援グループ「アイ・サポート那須」を立ち上げました。3月21日に、発足総会を開催。会員募集から半年間、ボランティアセンターを中心に打合せや、学習を重ね、読み書きだけではなく、ガイドヘルプやパソコンサポートなど、広くニーズに応えていこうと12名でのスタートとなりました。
まだまだ学ぶこともたくさんあり、会員拡大も図っていかなければなりません。しかし、まずはスタートさせて、活動しながら、充実させていこうと、みんなで確認しあいました。
東北大震災後の音ボラのHPの読み書き支援記事から始まった小さな波紋が、少し大きくなりました。より大きな波になるように、みんなで頑張ります。と。
松木さんたちには、心からのエールを送ります。
読み書き支援の活動に賛同しつつ、明確な受け皿がないまま、迷い悩んでいる多くの人たちへの、一つの指標となることと思います。身近な実践例が、増えることを祈ります。

No.240 震災シンポジウム「東日本大震災視覚障害者支援のまとめと課題」

あの未曾有の大震災から1年目の3月11日のシンポジウムへの参加を、心待ちにしておりました。私たちが、昨年12月に開いた仙台での「読み書き支援」のシンポジウムの折りには、地元の皆さんには、一方ならぬ、お世話になりました。また、日本盲人福祉委員会東日本大震災視覚障害者支援対策本部の事務局長を務めておられた加藤俊和さんには、昨年一年間、ほんとうにお世話になりました。
それやこれやで、今回の「震災シンポジウム」には、みなさまへのお礼の気持ちをこめて、ぜひ参加したいと思っておりました。思いがけず、前日10日の交流会にも、お誘いいただき、喜んで出席しました。主催者や協力団体のみなさん、そして11日の登壇者のみなさんが参加。
ここでは、日本盲導犬協会 ゼネラルマネージャーの吉川さんはじめ、たくさんの新しい出会いがありました。その上、日本点字図書館の小野館長やヘレン・ケラー協会点字図書館の石原館長、元筑波技術大学の岡本先生とも、お目にかかりました。初めての方々との出会いはもちろん、以前からの顔見知りの方々との再会も、大切にしたいと思いました。
さて11日のシンポジウムのことです。会場は、ホテルメトロポリタン仙台です。300名の来場者の中には、たくさんの視覚障害者のみなさんもいらっしゃいました。私にとっての一番は、各地で被災された視覚障害者のみなさんの生の声でした。私も避難所にも、伺いましたし、被災地にも何度か立たせていただきました。わかったようなつもりでいましたが、違います。
必死の思いで、たどり着いた避難所でのこと、トイレが大変で、我慢するようになり、体調を崩した人。
白杖をつく「コツコツ」という音や、音の出る時計がうるさいと言われた人。
生活ができる状況ではないにも関わらず、避難所よりは、ましと戻った自宅に、食料も水もなし。一番近い避難所に行って、食べ物等、わけてもらおうとしたら、物資が余っているにもかかわらず、「これは、ここに避難してきている人の分だから、あげられない」と言われた人。
思わず、涙がこぼれました。もちろん、心ある人たちもたくさんいたでしょう。しかし、そういう現実もあったということです。私は、加藤さんの動きを通して、日盲委の活動を少しは、知っていましたが、改めてこういう人たちに支援の手をさしのべてこられたことに、敬意を表します。
ここで、活動に一区切りをつけるということですが、まだまだ、支援の手を待っている人がいます。
私も大したことはできませんが、少なくとも、みなさんのことは、忘れません。みなさんが、頑張っている姿を忘れませんと、伝えていけたらと思います。
会場で、高知の藤原さんや、山形盲学校の先生方とも、お会いしました。尚、終了後の仙台、那須塩原、長野、横浜、東京から参加の会員のみなさんとのミニ交流会、楽しかったです。お世話になりましたすべてのみなさま、ほんとうにありがとうございました。
またいつか、どこかでお会いしましょう。

No.239 至急の音訳グループ募集

来年の司法書士試験に向けて、テキストを音訳してほしいという留守録をきいたのは、夜もかなり更けた時間でした。失礼と思いながらも、電話をしました。案の定、連絡を待っていたとのこと。
埼玉県内在住の30代の女性でした。10冊もあるテキストを音訳し、デイジーにしてほしいという、依頼でした。
近くのボランティアグループにも頼んだか、1冊に3か月かかるので、このペースだと受験に間に合わないし、音訳グループとして、私一人のことだけに、関わっていられない事情も、よくわかると。
そこで、大きな団体にも連絡したが、体よく断られた。また、インターネットで、探してアクセスしてみれば、連絡先が、現在使われていない電話番号だったり、すでに、活動を中止しているところだったり、うまくいかなかったそうです。ようやくたどり着いたのが、音ボラネットだったとのこと。読み手を探します、という私の一言に、ほっとした感じでした。しみじみ、専門書を読んでくれるところは、なかなかありませね、と言われました。
「司法書士合格講座テキスト6 商業登記法」というようなテキストだそうです。1冊300ページくらい。分冊OK。今のところ、いくつかのグループに当たりをつけました。デイジー横浜の大原さんに、内容を確認し、簡単なマニュアルを作成し、読みの統一を図るべく準備を進めてもらっています。
幸いにも、以前、法律書の音訳を引き受けてくれた、名古屋YWCAの堀尾さんに、ノウハウを教えてもらえることになりました。堀尾さんいわく、「今どきのテキストは、法律関係といっても、難しくないですよ。誰でも読めます」と。力を貸していただけるグループは、ありませんか?
至急の連絡をお待ちしております。

No.238 コンサート

行事が重なれば重なるものです。おかげさまで、「音ボラネット」の名前が、少しずつ浸透してきたようで、何かあれば、チラシが送られてきたり、案内メールがきたりします。それぞれに参加すれば、無駄はないと思いながら、身は一つ。政治家の先生のように、挨拶のみ5分から10分の滞在で次に移動、などということが、できるはずもなく、自ずと優先順位をつけざるを得ない状況です。

そんななか、3日の夜の小さな「ひなまつりスペシャルコンサート」にでかけました。 このコーナーでもお知らせしましたし、お世話になっている、出版UD研究会のMLにも載せていただきました。

中国は天津生まれ、京都在住の中国笛の奏者でテノール歌手の楊雪元さんのコンサートです。渋谷・宮益坂の「Cafe CEPIA」は40人余の来場者で超満員。「ベルナのしっぽ」の郡司ななえさんや、福島・広野町の猪狩さんはじめ、たくさんの音ボラネットの会員さんや点訳の人も集まってくれました。千葉や横浜からの人もいます。

ところで、楊さんの前にも3組のオカリナ等の演奏がありました。楽器もさまざまです。中国笛といっても、穴が一つの竹笛があったりと多様です。中国笛とのコラボで、大束晋さんのパンフルートを聴きましたが、私にとっては、初めての楽器でした。ルーマニア生まれで、「牧神パン」が吹いていた楽器だそうです。

さて、オカリナの多様性、中国笛の技法の奥深さ、「すごい?」の一言です。楽器にも触らせてもらいました。事前に、ぜひにとお願いした、白杖での「トルコ行進曲」は、やんやの喝采でした。

また、中途半端な声量だと、薄っぺらくなりがちな「千の風になって」や「北国の春」は、心にしみました。イタリアのカンツォーネ(ナポリ民謡)「オー・ソレ・ミオ」は、イタリアの先生に歌曲の指導を受けているというだけあって、圧巻でした。笛も歌も、バージョンアップした楊さんを、これからも応援していきたいと思いました。 みなさんが「楽しかった?」て言ってくれたこと、楊さんご夫妻にも喜んでいただけたことが、何よりでした。みなさま、ほんとうにありがとうございました。

No.237 「嬉しいお知らせ」

当初、私などは、マルチメディアDAISYは、学習障害のある人たち向けのコンテンツだと理解していました。しかし、視覚障害者にとっても、デジタル録音図書として、利用できるわけです。今では、さまざまな障害者に対して有効な学習・読書支援となっています。

このマルチメディアDAISYに関しては、もっと勉強して今後、音訳者として、何かできないかと、ずっと考えています。今さら、新しいことに挑戦するのは、日頃の多忙な活動のなかで、無理という人がほとんどだろうと思います。しかし、一方で頼もしいことに、勉強熱心で、進取の気概に富んでいる人もいて、地方にあっても、今年はマルチメディアDAISYに取り組みたいと言ってくる人もいます。

こういうみなさんと、何かできないかなと、思いを巡らせていた時、嬉しいメールが届きました。昨年の総会の第2分科会にお招きした、学習障害のお子さんを持つお母さんからのメールです。会場での「勉強がしたいのに教科書がない」という、叫びは、参加者全員の心を打ちました。結果、日本点字図書館の数学をはじめとして、みなさんのおかげで教科書が届けられるようになりました。

「分科会がきっかけで、高校の教科書を製作していただき、2年生に進級できそうです。また、2年生の教科書も継続して製作していただけることことになりました。みなさまには、ほんとうに感謝で一杯です。たくさんの方に支えられています。ありがとうございます」と。こちらこそ、ありがとうございますと、言いたい嬉しいメールでした。私たちが一つのきっかけを作れたことを、誇らしく思うと共に、今、ご尽力いただいている関係のみなさまに、心からお礼を申し上げます。