No.228 仙台でのシンポジウム

氷雨降る仙台で、3日「読み書き支援のためのシンポジウム」〜これからの高齢者・障害者への情報支援を考える〜が開かれました。

仙台と東京での協働作業で、スムーズにいかないこともありました。何より、案内チラシが、地元仙台はじめ、配布に協力してくださった各地のみなさんのお手元に、お届けできたのは、わずか3週間前でした。それでも、みなさんのおかげで、無事、開催にこぎつけることができました。「参加人数が、少なく残念!」「もっと多くの人を集める工夫をしてほしい」という声もありました。しかし、ほぼ全員が、「参加してよかった」と、アンケートに応えてくれました。すべての指揮をとってくださった、加藤さんが、「今回の仙台の地での開催が、読み書きの拡がりのための貴重なきっかけと、なることと思います」とおっしゃっていました。次につながる一歩になったと、思います。参加してくださった、仙台市視覚障害者福祉協会の高橋会長も、「私たちからも、発信していかなければ」とおっしゃったそうです。

さて、4日は、「被災の現場に学ぶ」ということで、現地を訪れて、被災の爪痕と変化していく状況を確認し、今後の支援について、学ばせていただきました。石巻では、日和山の一角にある、鹿島御児神社の方や休憩場所を提供してくださった「こーぷのお家 いしのまき」の丹野さんや千葉さんから、被災の様子を直接伺えたことは、大変貴重でした。みなさん前向きに頑張っている姿に感動しました。しかし、ご自身も被災者でありながら、「私はまだ、ましな方」と、都内での、読み書き支援員の講習会やシンポジウムに通ってこられた、鈴木さんは、今、フラッシュバックに苦しんでいます。夜もうなされるそうです。こういう方もいらっしゃいます。

ところで、私はこの度、女川を初めて訪れました。見慣れた石巻市は、一見ずいぶん、きれいに片付いているという印象を受けていました。新しい信号もつきました。しかし、女川は違いました。5階建ての建物の高さまで、津波が襲ってきた所です。復興などとは、無縁の置き去りにされたままの町です。根こそぎ津波に持っていかれてしまった所です。家の土台しかありません。高台に3階建ての仮設住宅がありました。車が、異常に多いことに、気づかされました。車がなければ、生活ができないのです。近くにお店も病院もありません。逆にいうと、車のない人、高齢者、障害者は生活ができないことになります。何よりこの3階建てでは、高齢者は辛いと伺いました。こういうところにも、読み書きの支援を必要としている方がいるかもしれないと思いました。

また、広い仙台平野では、あちこちに水たまりができています。水が、はけないのだとか。米や作物を作るためには、塩水をかぶった土を何回にも分けて、入れ替えないといけない、気の遠くなる話しです。いつの日か、この広い広い大地が、水田や畑地として復活する日はあるのでしょうか。

この日も、全員、参加してよかった。「自分の目と肌で、被災地を感じたことは、とても有意義だった」「報道では見ていても、実際に自分の目で見ることによって、何倍も考えさせられることがあった」等々の声が寄せられました。また、仙台の方からは、「地元でありながら、というより地元であるからこそ、戸惑いがあり、行くことができずにいたが、今回の機会に恵まれ感謝している」と。企画してよかったと思いました。

今回もまた、心を動かし足を運ばなければ、出会えない人、出会えない風景がありました。この度のことに、関わってくださった全てのみなさまに、心からお礼を申し上げます。

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