No.303 皆川春雄先生のこと

元筑波大学附属視覚特別支援学校長の皆川春雄先生が亡くなりました。69歳でした。早過ぎます。
教えていただきたいことが、たくさんありました。
思い返すと、このネットワークの設立総会の2ケ月後、2007年8月に鳥取市内で開かれた全日本盲学校研究大会に、参加しました。
その時、初めて皆川先生にお目にかかりました。
早朝の飛行機で鳥取へ。その足で、会場に駆け込みました。
「よく来てくださった」と言われた先生の笑顔に、緊張が一気にゆるんだのを覚えています。
2日目の分科会では、全員現場の先生方のなかで、唯一、異色の私を紹介してくださり、挨拶の時間までいただきました。
その後、学校にもお邪魔しました。「応援しています。校長会とも連携をとられたらいいでしょう」と。
盲学校で、手厚く守られている児童生徒も、やがては、社会に出て、一人立ちの時を迎えます。
その時、私たちのような音訳ボランティアがいるということを、予め知っておいてほしい。そのためにはまず、先生方に私たちの存在を知っていただくことが、大切と考えていました。
2008年の「医療関係の音訳を考える」シンポジウムにも、協力応援してくださいました。
当日会場にも、お越しになり、貴重なアドバイスをいただきました。
また、東京音訳グループ連絡会で、講演もしていただきました。
その後、私たちの総会での基調講演に、鳥山由子先生を推薦してくださったのも、皆川先生でした。
更に先生が、編集なさった盲学校の弁論大会の弁論集を、事務局の黒一点、伊藤さんが、文京盲学校の録音室で、音訳。更にデイジー編集し、各盲学校に寄贈しました。先生がとても喜んで、「じっくり聞いたよ。うまいものだね」と喜んでくださいました。
またある時の全日本盲学校研究大会では、「行くよ。一緒にいらっしゃい」と、カラオケに連れていってくださいました。
お仲間の校長先生が10名ほど。
私に他の校長先生を紹介しようとのご配慮でした。
その時、「僕は、教職に就く前は、技術屋でね。東芝の府中工場で新幹線を作っていたんだよ」といたずらっ子のような笑顔で、話されました。
その後に歌われた「黒の舟歌」は、声量たっぷりの堂々としたもので、もはや余興の域を超えています。
今も耳もとで、あの歌声が、聞こえてくるようです。また、会報をお送りすると、毎回筆字のご丁寧なお葉書をくださいます。
たまにお電話でご相談すると、「元気なあなたの声が聞けて楽しかった。大丈夫!自信を持って。身体に気をつけて頑張ってね」と、いつも気遣ってくださいます。
思い出すのは、笑顔と励ましの言葉ばかりです。

この度の悲しいお知らせは、お仲間というよりは、同士という言葉がぴったりの鳥山由子先生から、いただきました。ありがとうございます。お花のお好きだった先生が、色とりどりのお花に埋もれていました。
最後のお別れができてよかった。
皆川先生、本当にありがとうございました。
ごゆっくりおやすみください。
私は、もう少し頑張ります。

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